全ての人に少しづつやってくる老いというもの。
子供の頃は成長とよばれるのだろうか。
年末に聞いたお話が少し心に残る。
私にとってのオバアチャンは父にとっては育ての親だった。
オバアチャンはぽっくり。オジイチャンは長生きだった。
母はオジイチャンが一人で動きづらくなった時、父と相談して今の実家に引き取って面倒をみることに決めた。
とてもガンコでぶっきらぼうで喧嘩っ早くて大変な人だったが昔から私達孫をとても可愛がってくれた。
言葉には絶対に出さない人だったけど。
「その想い出が有難かったから」
それだけで母は最期まで面倒をみた。
私が東京で働くようになってから、恩人のご主人がご病気の為動けなくなった。
仕事でお忙しい奥様の代わりに居ることが多くあった。
その時はオジイチャンと違って、その方はお若かったのでまさか亡くなるとは夢にも思っていなかったが、結局最期までということになってしまった。
全くの他人である。
しかし、一般に言う介護という状況になることもあった。
その時、実際、、なんで私がやってんだ?って思うことが全く無かったといえば嘘になる。
けど、やっぱりお母さんの時と一緒。
何かしらの「感謝」とか「恩返し」的な気持ちが大きいと意外と普通のことの一端になる。
血のつながりというのはもしかしたら便宜上なものなのかもしれない。
誰かの老いということを迎える時
その人との元気な頃から普段から続いていた「こころのツナガリ」とか
その人をとりまくまわりの人達とのそれまでの「こころのツナガリ」
これがとても大事なんじゃないかと思う。それ無しだと無理だったろうと思う。。
ひとによるかもしれないけど。
わたし?
こころのままにしか動けないかな。。
そして、自分は?
できれば、ポックリで、、
私自身も別なところに問題を抱えてはいるし、現状回答を突き付けられているわけでもない。
未来は常に変化しているから今はわからない。
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老いということ。
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